【原文+渣翻译+感想】文库本后记

あとがき

  生まれて初めて物語らしきものを書いたのは学生時代、もう十数年も前のことです。一人の少年が、鸚鵡を買っている少女に恋をするという童話でした。 少年は気持ちを口にだせず、鸚鵡に伝えさせようと、好きだという言葉を必死に覚えこませます。鸚鵡はやっと覚えてくれたものの、その言葉を自分に返すばかりで一向に少女に伝えてくれる気配はありません。一方、少女の方でも同じ気持を鸚鵡の声に託していたのですが、自分の言葉を返すだけの鳥に少年と同じ落胆を味わっています。二人はそれぞれ、鸚鵡の声が相手の声とわからず、自分だけの言葉と諦め、結局別れてしまう――という他愛のない話でした。 鸚鵡を扱った童話は他にも多いし、どこかで聞いたような話でもあったので、破り棄ててしまいましたが、今から思うとあの幻の童話は、やはり自分のスタートラインだったような気がします。処女作には作家の全部があるといった大袈裟なものではもちろんありませんが、十数年経って今もあの幻のスタートラインにとどまっているなと思います。 この短編集は連作探偵譚ですが、田沢軍平と五人の女性とのゆきずりの恋にもやはり、十数年前のあの、必死に自分の役目を果たしながら二人を結びつけるのに失敗した一羽の鸚鵡が(姿こそ見えませんが)登場しています。

  名探偵は作者の分身だといわれます。 田沢軍平も、実は僕という一人称です。 当然ながら迷探偵であり、エリート派ではなく落ちこぼれ派です。 もっともそれは、夢まで含めての自分であって、欲望とか野心とか体だけでなく精神的にも栄養過多になっている現代人の中で、胃弱な低カロリー体質のために自分の恋心さえ受けつけないという一人の若者像の大半は、僕の一人称の夢にすぎません。 夢まで含めて自分だというのは、修整写真や整形した顔を自分と言うのと同じ恥ずかしくはありますが、僕の場合、小説はいつもそんな修整写真のアルバムのようなものです。 どこまでが現実の一人称でどこまでが整形かはあえて書かずにおきます。ただ軍平が作家なら「こんな夢の譫言に読者につき合わせるのは悪いな」と思うでしょうし、その恥ずかしさは何分の一か、単行本化にあたっての今の僕の、本心でもあります。 この一冊に託した僕の夢の言葉は、十数年前の鸚鵡のように、結局読者には上手く伝わらないかもしれませんが、ほんの何人かにでも声が届いて、その人たちがちょっとでも気持ちをなごめてくれたらいいな、と願っています。

  この連作を産み出すには三年前、当時の担当編集者だった名取昭氏の大きな協力がありました。その後を継いでくれた明円一郎氏、そしてまたこの本を出して下さる和田宏氏、文藝春秋の三氏にお礼を申し上げます。 そしてもう一人―― この連作中の一話に出てくる電話のトリックは、山村美紗さんがすでに長編のトリックの一つに使わっておられたものです。あくまで偶然ですし、既に御当人にはお詫びしてありますが、ミステリの世界では重要なことです。改めてこの場でお詫びと謝意を表させていただきます。


后记

  平生第一次写故事一样的东西是在学生时代,是十多年前的事了。是一个少年,爱上了养着鹦鹉的少女的童话。 少年不将爱慕之心说出口,而是试图让鹦鹉转达,拼命让它记住“喜欢你”这句话。但是鹦鹉最终学会的只是对着少年重复这句话,没有一点要转达给少女的意思。另一方面,少女也把同样的心情寄托在鹦鹉的声音之中,但面对着只会回应自己的鸟,她和少年感到了同样的失望。两人各自都没有发觉鹦鹉之声即是对方的心声,只认为是自己的话语,因而放弃,最终分别离去。——就是这样一个无趣的故事。【*】 其他也有很多出现鹦鹉的童话,再加上这个故事好像在哪里听过,所以就把文稿撕破扔掉了。现在想想,反而觉得那个虚幻的童话果然是自己的起跑线。当然,我不是想说什么处女作里有作家的全部之类夸张的话,但是就算十几年过去,我觉得我现在仍然在那虚幻的起跑线上徘徊。 虽然这本短篇集是连作侦探故事,但田泽军平与五位女性擦肩而过的爱恋里,那只十几年前拼命完成自己的任务、明明能够连结两人却失败了的鹦鹉仍然出场了。(虽然见不到它的身姿。)

  据说名侦探是作者的化身。 田泽军平实际上也就是我的第一人称。 理所应当地,他是个迷糊侦探,并非精英派而是落魄派的。 原本那是我自己的梦想。在欲望、野心、身体,连精神都被喂养得营养过剩的现代人类中,这么一个因消化不良食欲不振而连自己的恋慕之心都无法支撑的青年形象,大部分只是我自己的梦想罢了。 要说理想里的我,就好像谈论美化后的照片或者整容过的脸一样羞耻。但对我来说,小说一直是那种放着美化后照片的相簿一样的东西。 哪些是现实的第一人称哪些是美化过的部分就不写出来了。如果军平是作家的话,大概会想“让大家看这些梦里的胡言乱语真是对不住了”。那种羞耻感对出了单行本的我来说,也是真真切切的。 我在这本书中寄托的梦想,也许和十几年前的鹦鹉一样没能向读者们好好转达。但是我希望,哪怕能够传达给那么几个人,能让他们得到些许安慰的话就再好不过了。

  写下这本书是在三年前,得到了当时的编辑名取昭先生的大力帮助。同时也感谢之后接任的明円一郎先生、以及将这本书出版的和田宏先生、文艺春秋的三先生。 以及还有一位—— 在这本书中的一篇内出现的电话诡计是山村美纱在长篇中用过的诡计之一。这仅仅只是偶然,已经向本人道歉过了,但诡计在推理文学界是重要的事情。在这里,请允许我再次表示歉意和感激之情。

【*】 书中前言《连城三纪彦和其名侦探塑像》中对该童话的介绍:“一个少年爱上了一个少女,而少女也爱上了这少年,但是互相不敢告白,于是少年想要告诉少女的话,教给其所养的鹦鹉,希望鹦鹉转达,但是鹦鹉只会对少年说话,不向少女说,而少女也模仿鹦鹉的声音向少年说话,少年却认不出少女的声音,最后两人不了了之。”


第一次尝试翻译,翻译好难啊orz向译者致敬,向连城三纪彦的译者致敬orz日语读起来很顺翻成中文就怎么都不对,语序主谓宾一团糟,大多数都是直译的orz错误也肯定有,还请各位大佬指出orz

其实录入和试着翻译这篇后记的起因还是看到有短评吐槽“男主角色充满作者身为屌丝的YY痕迹”。初读全文确实有这种感觉,男主其貌不扬却总能碰到各种魅力四射的女性,一番推理之后又各自分别,再加上本人在后记里承认这是自己的化身,很容易会觉得作者也是罗圈腿秃头戴瓶底眼镜,只能靠写作yy与美女相遇,碍于现实最后只能写主角假装潇洒挥别不留一点痕迹。但是从这篇后记中可以看出这个形象的重点不是在于与美女相遇,而是注定无法恋爱的单薄青年。如果主人公是个美少年,读者读到每篇最后的分别未免会心生惋惜,而面对这种不讨喜的落魄流浪汉一样的角色,反而会觉得理所应当吧。

所以我的理解是,男主没有魅力只是因为作者没打算让他有魅力。

PS. 连城写的第一个童话故事就是虐恋啊【真实起点

PPS.连城的助手滨田芳彰在《叹息的时间》的后记里写道:“连城先生不知为何很受友人的太太们欢迎。”←连城本人绝对不是罗圈腿秃头瓶底眼镜